2021 秋 日記のようなもの

芋ご飯を作った。弟が混ぜご飯が苦手だったので実家ではほとんど食べなかったが、給食で食べる芋ご飯の味が忘れられず、レシピを検索した。9月の私はとても機嫌が良かったので、そんなに料理が苦ではなかった。味の方は微妙だった。

 

本を一気に3冊買った。読みたかった本と、今まで読んでこなかった本と、英単語帳。思えば去年は本を読みたくても読む時間がなかったので、それを取り戻すように最近は読書量が増えた。やっぱり読みたいときにだらだらと本を読む時間が好きだ。

 

 

私はどうやら景色を見ることが好きらしい。朝起きたら必ず窓の外の様子を見てしまうし、向かいの家の洗濯物は出ているか確認してしまう。向かい家が洗濯物を外に出していたら私も出すようにしている。電車の車窓もバスの車窓も好き。バスは後ろから2番目の席に座ると窓がちょっとだけ大きい。でも運転席の真後ろも好き。

 

夏休みを挟んだが故に、ちょっとずつ形成されつつあった人間関係がまたリセットされた気がする。人を誘いづらい。結局1人でも上手くやれる人だから1人を選んでちょっとだけ落ち込む。

 

大人数でのトークライブを見ると、この人とこの人は関係性あるけどここは全くないから上手く会話に入れてないなとかこの人の発言回数少ないなとかすぐ考えちゃう。あとこの人はこの人のファンなのかな?とかも考えちゃう。野球ネタを理解できた試しがない。

 

幕張イオンモール劇場が好きなのはイオンモールの作りはどこも同じなのでちょっとした安心感があるからだと思う。3階のちょっと外に出れる空間がとても良い。景色最高。

 

目の前の家の洗濯物を見て外干しするかどうか決めている。ある日いつものように外を見たら、ちょうど洗濯物を干している最中だった。初めて干している最中を目撃した。本人登場みたいな変な気持ちになった。

 

やる気が出ない土曜の昼、何となくNHKでやっていた小学生の囲碁大会を見た。解説者が正座して足が痺れていないかの心配をしていてほっこりした。

 

 

 

おもしれー女になりたい

すぐ自分のことだと思う。あの人が嫌われるのが怖いって言ったことも、あの人が部屋を見ると性格が分かるって言ったことも、あの人が女性芸人に求めることも、全部自分のことだと錯覚してしまう。でも本当は自分の中に少しだけあったものを上手く言語化されていただけだということにも気付き始めた。憧れの人は普通の人とは少し変わった考えを持っていたりちょっと変わった行動をしていたりする。その「変わったこと」に憧れてしまうこともある。でももともと私とその人は違うことを知っていなくちゃいけない。

 

ファンとは厄介なものだと思う。特にファンに向かって割と本音を話してくれる人には他の好きなものとは違う感情を抱いてしまう。「共感」はもっと厄介なものだと思う。自分しかそんなこと考えてないんじゃないかと思うことに寄り添ってもらうともう自分はあの人と同じ考えの持ち主だと錯覚していまう。でも結局それはマイノリティの中のマジョリティに過ぎないんだと思う。だからこそ多くの人から支持されるし発信する場があるんだから、そりゃそうだ。全ての感覚が同じ人もいないわけだし。

 

中学生の頃、星野源さんの「働く男」を読んだ。そこではいくら自分の好きなアーティストでも全てが自分好みの曲とは限らないといった旨の記述があったと記憶している。結局いくら波長があっても他人は他人。考えが全て同じ人なんていない。でも、こんなシンプルなことでも、なぜかこの事実を忘れてしまうことがある。というか、難しい。大好きな人が自分と少しでも考えが違うとちょっと落ち込んじゃうし、好きな人同士で意見が割れてたらもうどうしたらいいのか分からない。私の意見って結局好きな人の意見だったりする。

 

人に共感する力はもちろん大切で良いことだけど、次第にそれが「あの人は私と似てるから」と一括りにするのは違う。逆にそういう考えを持たなきゃいけないよってわけでもない。そこはちゃんと線引きしなきゃなと思う。でもこの線引きがめちゃくちゃ難しい。知らず知らずのうちに憧れの人から影響を受けまくっている。

 

星野源ANNで星野さんと若林さんがトークしているのを聴いたとき、こういう感覚は同じだね、でもここはちょっと違うねといったやり取りがかなり印象に残った。同じこと考えてたんです!のときの高揚感は全く関係ないのに聴いてて楽しかった。でも仮にこの会話に私が加わるとする。多分、おもしれー女とはならないと思う。私の思想はあの2人を越すことはないと思う。それは人生経験の差もあるけど、やっぱり私だったら若林さんから影響を受けてることによって、想定の範囲を超えるような話はできないんじゃないかと思う。(すごく言語化するのが難しい)そう思うと、なんかちょっと寂しさもある。

 

つまり私には何もオリジナリティがないんじゃないかと思うわけだ。行動がほとんど何かに影響されている感じがしてなんだか満足いかないことが多い。何か始めようと思っても誰かがやってたな〜と思うとなんか嫌だ。0から1を作れる人ってすごい。あーあ。おもしれー女になりたいな〜

 

 

 

 

 

 

女として生まれてモヤってる話。

 前にも言ったことがあるが、私は「女」というものが本当に嫌いだ。女の子特有の連帯感も苦手だし、男として生きることができたらもっと楽しいのかなと思う。最近の愚痴。この前は女友達に遠回しにモテていることの自慢をされた。「それって結局誰かから求められてることで安心したいだけでしょ??」という気持ちを抑えながらただ相槌をうつような時間が私はとても嫌いだ。本来もっと良い返しがあるんだろうし、そういう会話が好きな人は好きなのかもしれない。そこでそういう穿った見方をしてしまう自分も嫌いだし、「この子は私のことを下に見ているからこんな話ができるんだろうな」とまで思ってしまうあたり生きるのが下手くそだなと思う。

 そんな私が今、異常にお笑いやらラジオやらに執着しているのはそんな日常生活のズレから逃避しているからだと感じる。高校生のころ、掃除時間にラジオのことばかり考えていた。大学生になった今でも、結局気がつけば誰かの会話を電波を通して聴いている。ラジオでは「女」という枠から外れたものに参加している感覚が好きだ。リスナーというたった一つの括りに分類される。その感覚が心地良い。

 最近、Dr.ハインリッヒパロールの時間を聴きはじめた。最初の無料で聴ける部分は興味深い話が多かった。しかし有料になると救われたような気持ちになったり、苦しくなったりと感情がぐちゃぐちゃになる。(有料コンテンツなので中身は詳細には言えないが。) 私が初めてDr.ハインリッヒの漫才を見たとき、双子で女性という情報と漫才が完全に分離されていてかなり衝撃を受けた。2人の表現しているものは私の理想そのものであった。そしてパロールの時間の媒体を通してお二人はかなり踏み込んだ所まで話していて、その話に毎度感情を揺さぶられる。正直誰かと語り合いたいぐらいには揺さぶられる。これが無料コンテンツだったらここまで話してくれないだろうなと思うともどかしい。

 時に真面目に誰かの考え方を聞けるラジオというコンテンツは、考えすぎてしまう性格の私にとってもはや生活に欠かせなくなってきた。相変わらずラジオに救われてばかりの人生だ……。

 

 

ラジオとわたし

私がしっかりラジオを聴き始めたのは四千ミルクだった。そして深夜ラジオが大好きになるきっかけの番組はアルコ&ピースのD.C.GARAGE。去年の6月頃のミルクで番組名を声を揃えて言いたい的なくだりがあったときアルピーdcgが例に出されていて、どんなコールなんだろうと思ったのがきっかけだった。

初めて聴いた回はチョウチンアンコウは深海魚界で嫌われている的な話をしていて、その次の週に宮下草薙がゲストだった気がする。

そこでくだらない嘘の話や妄想話を延々と話す感じが、なんというか、こんな面白いものがあったのか!!と衝撃的で、コーナーに届くメールの面白さもえげつなくてこんな面白い人たちがいるんだ!!と思った。

そんなこんなでヘビメタ編み物選手権を知ってギガボディ聴きはじめたり、その流れでハライチのターン聴きはじめたり、なんやかんやで深夜ラジオの虜になってしまったわけだけど、最近の私の1週間になくてはならないラジオ番組がある。それが「ヨブンのこと」だ。日曜10時半からの30分番組で朝井リョウさんと高橋みなみさんがパーソナリティを務めているのだが、月曜日を迎えるための番組というか、とにかくこれを聴いて1週間頑張ろうと思える番組だ。

ラジオに助けられてきた私はこれからもラジオに助けられるんだと思う。

 

ラジオ最高っ!!!

 

近況

25日まで学校が休みという知らせが届いた。正直こんなに学校に行かなくていいのは嬉しい。自分が好きなことが出来るのは最高だ。だがしかし、それと同時に堕落していく自分が怖くもある。

 

そもそも学校に閉じ込められ続けた私は自学という概念が無い。1日からずっと体の電源はoffの状態だ。そしてしっかり課題が出されている。私は課題というものがとにかく大嫌いだ。自発的にワークを解いていると「うわ!勉強してるぜ!」という感覚がとんでもない優越感を生み出すのだが、課題となると話は別。みんなやってるし……という感じがする。早く課題終わらせて自分でやればいいじゃんという話なのだが、その課題の壁が高すぎる。そして夜に猛省する。

 

この休校期間はホットケーキを作るのにハマっている。究極の焼き目、究極の形を追求するのが最高に楽しい。しかし少食のため全て自分では食べられないのでだいたい弟に食べてもらっている。正直なんの為にもなっていないと思う。

そしてカフェオレばかり飲んでいる。甘めの。ホットケーキとカフェオレで牛乳をたくさん使うので牛乳を使い終わるのはいつも私。後片付けもいつも私。牛乳パックの解体が少し上手くなった。

 

また暇すぎるのでキャッチボールをした。初めてしっかりとしたボールの投げ方を覚えた。小中学生ではテニスをしていたが、逆効果でめちゃくちゃ姿勢がおかしいと言われた。なるほど。だから体育ではなんか違うと言われたのか。

そしてペットボトルキャップ野球もした。実はずっとやりたかったのだが投げ方が全く分からない。弟に教えて貰うとなんとなーく出来た。そしてこれは別に出来なくてもいいなと思い、2回投げた以来1度もしていない。

 

そんなこんなで来週が出校日になった。非常にまずい。課題も終わってなければ生活習慣もおかしくなっている私。この休みに何をしたかと聞かれたら「ホットケーキ作りが上手くなった」「牛乳パックの解体が上手くなった」「catch me if you canを見た」「ちょっとボールとキャップを投げた」ぐらいだ。酷い。酷すぎる。でもどうせ都合よく「運動をしました!!!」「料理もしました!!!」「外国映画を見て英語の勉強をしました!!!」と言うからいいか。

 

残りの休み、何をしようか……。

自己紹介+追記

こんにちは。学畜戦士さなぎです。

 

学畜戦士さなぎとは何者なのか。

今現在高校2年生の女子です。つまり4月から3年生、受験生です。鹿児島にいます。(当時)

 

ラジオネームの由来は特に深い理由はありません。響きがよかったからという単純な理由で、もっと気の利いたものに出来なかったのかと後悔しています。

 

強いて言うなら「さなぎ」は私の大好きなアーティスト、ぼくのりりっくのぼうよみさんの「つきとさなぎ」という曲からきています。

 

受験生ということで実は私は関東の大学を志望しています。理由は単純で都会に行きたいから。その他にもいろいろあるのですが結局1番大きな理由は都会への憧れです。ちなみに私は埼玉も十分都会だし、さいたまスーパーアリーナ浦和レッズがある時点で勝ち組だと思っています。本気で。

そもそも鹿児島ってちょっとおかしいんです。例えば天気予報で桜島上空の風の予報があります。サイゼリアデニーズなんてありません。

 

話は逸れましたが私はどうにか関東に進学したいです。

そんな私は今かなり詰んでいます。弟が私立に進学。公立も受けずに春から私立に進学することになりました。学費が高い高い。今まで大学は私立でもいいというような姿勢だった親は遠回しに国立を進めてきました。

今のとこ第1志望の国立はEです、E。

これから1年で胃に穴が開かないか心配です。

そんな私が通っている学校は3年生になると一日中閉じ込められます。「刑務所」と呼ばれてるらしいです。つまり今私は懲役1年ってことですかね。入学したら辛いと何度も聞いていて覚悟の上に入学しましたが、私は入学1ヶ月で早く卒業したいと日記に書いていました。それでも慣れてしまうとテスト期間は自主的に学校にこもるからもう私たちはきっと学畜なんだよ。って友達が言ってました。

 

どうやら受験からはどう足掻いても逃げられそうにないので吐血しない程度に頑張ります。

 

追記。

今は学畜戦士さなぎを名乗るのを辞めてしばらく経っています。なんか痛いので後悔しかないラジオネームだけど少なくともこれで知ってくれた人が数人居るのでこの記事は残しておくことにしました。

私の記事は定期的に非公開が増えていくのですが最初の記事ぐらい残しておこうと思いました。JKの頃の私はこんな感じだったのね〜!!

このときとは全く違う大学に進んで2年経っています。なんやかんやあって東京にいます。当時の私、ごめんね。あなたは1年後私立受験をしてちょっと受験から逃げましたよ。

追記した頃には昔のラジオネームなど知らない人も居そうなのでそういう時期もあった程度で見てほしいです。