女として生まれてモヤってる話。

 前にも言ったことがあるが、私は「女」というものが本当に嫌いだ。女の子特有の連帯感も苦手だし、男として生きることができたらもっと楽しいのかなと思う。最近の愚痴。この前は女友達に遠回しにモテていることの自慢をされた。「それって結局誰かから求められてることで安心したいだけでしょ??」という気持ちを抑えながらただ相槌をうつような時間が私はとても嫌いだ。本来もっと良い返しがあるんだろうし、そういう会話が好きな人は好きなのかもしれない。そこでそういう穿った見方をしてしまう自分も嫌いだし、「この子は私のことを下に見ているからこんな話ができるんだろうな」とまで思ってしまうあたり生きるのが下手くそだなと思う。

 そんな私が今、異常にお笑いやらラジオやらに執着しているのはそんな日常生活のズレから逃避しているからだと感じる。高校生のころ、掃除時間にラジオのことばかり考えていた。大学生になった今でも、結局気がつけば誰かの会話を電波を通して聴いている。ラジオでは「女」という枠から外れたものに参加している感覚が好きだ。リスナーというたった一つの括りに分類される。その感覚が心地良い。

 最近、Dr.ハインリッヒパロールの時間を聴きはじめた。最初の無料で聴ける部分は興味深い話が多かった。しかし有料になると救われたような気持ちになったり、苦しくなったりと感情がぐちゃぐちゃになる。(有料コンテンツなので中身は詳細には言えないが。) 私が初めてDr.ハインリッヒの漫才を見たとき、双子で女性という情報と漫才が完全に分離されていてかなり衝撃を受けた。2人の表現しているものは私の理想そのものであった。そしてパロールの時間の媒体を通してお二人はかなり踏み込んだ所まで話していて、その話に毎度感情を揺さぶられる。正直誰かと語り合いたいぐらいには揺さぶられる。これが無料コンテンツだったらここまで話してくれないだろうなと思うともどかしい。

 時に真面目に誰かの考え方を聞けるラジオというコンテンツは、考えすぎてしまう性格の私にとってもはや生活に欠かせなくなってきた。相変わらずラジオに救われてばかりの人生だ……。